古文書で発見できること
~自分のこと発見にチャレンジ~
フィールドワークのやりかた
フィールドワーク=外に出ていろいろ調査・研究することだ
字図(あざず)や古地図(こちず)をもって
昔の人が歩いた道を歩いてみる
東京都豊島(としま)区の名前の由来は「豊島氏」。

地図にはいろいろな種類があるんだけど、中でも明治時代初期に作られた土地の位置、形状(けいじょう)、地番を示(しめ)している地図があるんだ。
その後、法律(ほうりつ)が改正されたり、土地の形状が変わったいたりして、普通(ふつう)の地図とはちょっと違うんだけど、不動産の世界ではこれを使わないといけないんだ。
この地図が公図(こうず)といって、その古いものが字図(あざず)なんだ。字図には道路とかは書いていなんだ。なのでよくわからない地図だ。

字図は、法務(ほうむ)局に行くと見ることができるんだけど、役所でも見せてもらえるところもあるよ。

そこで、みんなにお勧(すす)めなのは、古い地図、「古地図(こちず)」だ。古い時代の地図で今の地図と照らし合わせて見ることもできるし、そういうことが出来るWebサイトもあるから探(さが)してね。
国土地理院の 「古地図コレクション」(https://kochizu.gsi.go.jp/)では、いろいろな古地図が見られるよ。

でもホンモノが見たいよね。そんな人には、ぜひその地域(ちいき)の歴史(れきし)資料(しりょう)館や郷土(きょうど)資料館に行ってみよう。
見られると思うよ。

ずっと前から気になってたんだ、今住んでいる東京都豊島(としま)区。
なんで豊島って名前なんだろうって。
そうしたらちょうど「豊島大博覧会(はくらんかい)」というのが始まったので、そこに行ってみた!

へ~、豊島って人に関係してるらしい・・・「豊島氏」鎌倉(かまくら)時代の武将(ぶしょう)らしい。。。

よし! 古い地図も手に入れたから、さっそく地図を持って、その豊島氏というのを探(さぐ)りに行ってみよう!!

ここは、雑司ヶ谷(ぞうしがや)鬼子母神(きしぼじん)というものすごく古いお寺だ。
古地図にも載(の)ってるぞ。
せっかくだからちょっと寄(よ)り道していこう。

次に行ったのは、法明寺。
おっ! いきなり豊島氏のお墓(はか)を発見!!
うわっ! 平安時代に作られたお寺なんだ!! スゴイ!!

そしたら、豊島氏の城跡(しろあと)があるって教えてもらったんで、古地図をもってさらに進んでみることにしたよ。

なんと、そこは「石神井公園(しゃくじいこうえん)」の中だった!! 全然知らなかったよ。
ここは、大きな池「三宝寺(さんぽうじ)池」があるんだけど、かつては湧(わ)き水たっぷりできれいな水源(すいげん)だったんだって。
今は地下からくみ上げているんだって。
この池のほとりに城を作ったらしい。城にとって水があることはとても重要だからね。

今は城跡はなくて、説明書きと「石神井城址(じょうし)」という石碑(せきひ)があるだけ。
鎌倉(かまくら)時代中期~末期に建てられた城なので、石垣はなくて、高く土が盛られている感じと空堀(からぼり)があるくらいだけど。。

池の真ん中の島に神社があるよ。水の神様なんだな。

えっ? この池って、豊島氏が最後の戦いに敗れる時、当時の城主と娘(むすめ)である姫(ひめ)が投身自殺(じさつ)したらしい。そして城も落ちた。。。近くに墓とされる殿塚(とのづか)と姫塚もある。。。
最後はなんかちょっと悲しい話になってきたな。

でも、やっぱりおもしろいや!
豊島区の疑問(ぎもん)も解決(かいけつ)できたし、次はどこに行こうかな!!

こんなところにボクの先祖の名前が︕
神社やお寺にある玉垣(たまがき)

みんなが歩いていて目に見えてわかるっていうと、神社やお寺の周りの玉垣ってあるでしょ、寄進(きしん)した人の名前が書かれていたりするもの。

そこに先祖(せんぞ)の名前や地域(ちいき)の知ってそうな人の名前が出てきたりするかも。

同じようにお寺のお墓や寄付者名簿(めいぼ)の石碑(せきひ)では、自分と同じ苗字(みょうじ)を見つけることってあるよね。

もしかすると、そういう中に、おじいちゃんや、ひいおじいちゃん・ひいおばあちゃんの名前が出て来るのかも。

もし、そこで見つけたら自分の家がこの地域にずっと根差していることを自覚できると思うんだ。
こういうことって、大きな手がかりになるし、自分が今生かされているって思わないかい?

先祖を通じてボクのルーツ発見︕
家のあったお位牌(いはい)をよく見てみたら

これは仏壇(ぶつだん)の中にあるお位牌(いはい)を並べたものなんだけど、勉強のためだからきっとご先祖(せんぞ)様も許(ゆる)してくれるよっていうことで、特別に見せてもらったよ。

これは古文書じゃないけど、ここにボクのご先祖様の名前が確実(かくじつ)にあるっていうことだね。

調べてみたら江戸(えど)時代の人もいる。そうとう古いモノだ。

こういう人たちがいなかったら、今のボクは生まれていなかったわけで・・・こういう人とのつながりの中でボクは今生きているんだ。。。

たまたま、ボクの家には仏壇があるけど、ない人もいると思うんだ。別のページにもあった戸籍(こせき)とか、自分の家のお墓があるお寺に残っている過去帳(かこちょう)なんかを見ていくと、自分の先祖ってわかってくる。
これを知るってとっても大事なことだと思うんだよね。
今度のお休みの日、お墓(はか)参りにつれて行ってもらおう。

おじいちゃん、おばあちゃんに話を聞きに行こう-過去と対話しよう
吾妻鏡(東鑑)(あずまかがみ、あづまかがみ)

おじいちゃんが持っていたこの本を手掛(てが)かりにしてフィールドワークに行ったよ。

この本は吾妻鏡(東鑑)(あずまかがみ、あづまかがみ)といって、鎌倉(かまくら)時代に成立した日本の歴史(れきし)書なんだって。
なんでおじいちゃんが持っていたのかはよくわからないらしい。
もともと家にあったのか、誰(だれ)かからもらったか買ったか・・・。
その理由はわからないけど、この本を読んで、お父さんと一緒(いっしょ)にフィールドワークだ。

この本の中で一番わかりやすいことが書かれているということで、この場所に来てみた。
鎌倉の鶴岡(つるがおか)八幡宮(はちまんぐう)に海からまっすぐに続く道。
そして2番目の鳥居(とりい)からは道路の真ん中が盛(も)り上がって歩ける道になっているんだ。
これが、この本に出てくる「段葛(だんかずら)」だ。

源頼朝(みなもとのよりとも)の妻(つま)政子(まさこ)に子どもが出来た時、無事に男の子が生まれることを願って作った道なんだって。
確(たし)かにその通り男の子(長男 頼家(よりいえ)が生まれた! この本にもちゃんと書いてある!!

おじいちゃんは残念ながらここに一緒にこれなかったけど、家に帰ったらいろいろ話を聞いてみよう。
なぜこの本が家にあるのか、鎌倉と何か関係があるのか、今まで知らなかったおじいちゃんの世界が見えるかもしれない。

そうだ! ついでにいろいろ見て回ろうっと。
おじいちゃんへのお土産も買わなくちゃ。

地形のこと
鎌倉(かまくら)の亀ヶ谷(かめがや)切通(きりどう)し

地形を生かした安全な町づくりは全国にたくさんあるんだ。
たとえばこの鎌倉には「切通(きりどう)しと呼(よ)ばれる山を切り崩(くず)して通した道があるんだ。

この切通しは、ちょっと急坂だけど、わざわざ遠回りしなくて済(す)むので、みんな通ってる便利な道だよ。
もともとは鎌倉の町を守るために作られた道なんだ。

え? わざわざ近道を作って、それがなんで守ることになるの?って思うよね。
そう、敵(てき)はこの道を見つけて一気に攻(せ)めこもうとするね。
道の両側は崖(がけ)になってる。
敵が来たぞ~と連絡(れんらく)が来ると、崖の上で待ち構えるんだ。
そうして敵が来たら一気に上からやっつける!
道は狭(せま)いから敵は逃(に)げ場をなくして一巻(いっかん)の終わり!というわけ。

鎌倉の町が外から守られたわけは、この切通しにあったわけだ。
頭もいいけど、この道を手で掘(ほ)って切り崩して作ったということもすごいことだよね。

こういう場所に行ってみてごらん。当時の人の努力が感じられると思うよ。

神社やお寺のこと
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)

日本には正確(せいかく)な数がわかないくらい多くの神社やお寺があるんだ。

ここは、初詣(はつもうで)でも有名な「鶴岡八幡宮」だけど、とんでもなく広い!!
こういうところには、だいたい資料館(しりょうかん)や宝物館(ほうもつかん)が一緒(いっしょ)にあるよ。
行ったら、ぜひそこにも入ってみよう。

でもね、こんなに大きな神社やお寺でなくてもいいんだ。
キミの家の近くにある小さな神社や、有名でもなんでもないお寺にだって、お宝(たから)があるかもしれない。
どんな神社やお寺にも必ずなにか残されているはずだ。

ダウンロードして使える「古文書発掘に役立つ資料」には、神社やお寺に関することも載(の)っているから、行く時にはぜひ持っていてね。
もし、キミの家のお墓(はか)がお寺にあったら、そこのご住職(じゅうしょく)さんに聞いてみようよ。聞きやすいと思うよ。

城のこと
広島城

お城って大きくて立派(りっぱ)だね。
その多くは戦国時代などにその場所の藩主(はんしゅ)が自分の力を見せたり、自分たちを守るために作られたもの。

その歴史(れきし)は、もっともっと古くて、なんと!「古事記」「日本書紀(しょき)」にも出てくるというから驚(おどろ)きだ。
土を盛(も)って外からやって来る敵(てき)から自分たちを守る、というものだね。

城の正確(せいかく)な数はわかっていないんだ。
そのくらい多いんだ。
古いところでは簡単(かんたん)な柵(さく)だけで周囲(しゅうい)を囲(かこ)んだものや、古文書などの文書でしか確認(かくにん)できないものもあるよ。

今でも天守や城郭(じょうかく)が当時のままの状態(じょうたい)で残っているのは、弘前(ひろさき)城、丸岡城、松本城、犬山城、彦根(ひこね)城、姫路(ひめじ)城、備中(びっちゅう)松山城、松江(まつえ)城、丸亀(まるがめ)城、高知城、松山城、宇和島(うわじま)城の12城のみ。

この12の城だけでなく、復元(ふくげん)された城やなんらかの建物がある城には、資料館(しりょうかん)があることが多いから、ぜひ行ってみてほしいな。

道のこと
京都にある鯖(さば)街道入口の石碑(せきひ)

日本中、道は続いているね。
江戸(えど)時代に整備(せいび)された5街道(かいどう)が有名だよ。
大名を江戸に参勤(さんきん)交代させるために、日本各地から江戸に向かわせるルートとして5つの街道を整備したんだ。

このように街道と呼(よ)ばれている道には、何らかの意味があって整備されたものがほとんどだよ。

この写真の「鯖街道」。
これは現在(げんざい)の福井県小浜(おばま)市から、京都府京都市左京区の出町商店街に鯖を運ぶために整備された道なんだ。
京都市内には海がない、しかも歩いて運んだので、丸1日かかってしまう。
そこで生の鯖を塩漬(づ)けにして運んだんだけど、京都につく頃(ころ)にはちょうどよい塩加減になって、京都の人には大変喜(よろこ)ばれたらしい。
今でも名物だよ。

このように道、特に街道と呼ばれているには理由があるし、そのことが地域(ちいき)の歴史(れきし)や発展(はってん)にとても関係しているよ。

キミの家の近くに●●街道って呼ばれている道はないかい?
調べてごらん、おもしろい発見があると思うよ。

発掘のポイントの1つに、
地域(ちいき)というものが関わっているということが
わかってきたかな?
どんなところにも必ず地域としての歴史(れきし)があるし、
そこに人がいたならば、生活もあったはずだよね。
その姿(すがた)を残しているものが
今回のテーマになるんじゃないのかな?
古い地図や地形と道、町や人の名前など
誰(だれ)かが作ってきた証拠(しょうこ)なんだよね。
さあ、キミの町をよく見てみようよ、出かけてみようよ。
そして調べてみようよ。